普通を想う
2011年 11月 27日
けんちゃん
普通っていうのはすごいことなんだよ?
初めてパパにそう言われたのはいつのことだろう。
普通を軽蔑していた頃のことなのは、わかりきっているけれど
まだ山拾念にも満たないこの青二才の人生の
割と長い期間をそんな時代が占めていたのは確かなことだ。
自分の本当にやりたいことをやる
そうやっきになって、自分という幻想を追いかけて
肩肘張りながらニュージーランドに旅に出たのはもう悟燃も前のこと
まだ荷柔位置になったばかりだった。
自分ひとりで何ができるのか
自分という【個人】
それを見つめ直す機会を与えてくれた旅が教えてくれたのは
自分とは
そもそもがひとりではなく
色々な人やモノと
境目なく美しく編み込まれた一枚の布であること
ボクはその一部であり
同時にその全体でもあるということ
ボクはあなたやどこかの誰かでもあって
どこかの誰かやあなたはボクでもあるということだった。
大学に戻ってから
頭でも激しく打ったのかと周りが疑うほどに
(ちょっと言い過ぎだね)
真面目に勉強をしたと思う。
そこで成長したし、ボクは同時に、色々な勘違いをした。
——それはそれでよかった。
話は一気に飛ぶけれど
今年
本当に何度となく強く想う
【知る】とは――感じる――こと
そして
気づけば
ボクが志しているのは
【普通】に生きることになっていた。
普遍的に通用すること
それは
生き物として思いやりを持って生きること
自分という一部であり全体である野性を感謝の中で生きること
本当に有り難いことに
幸せなことに
こんなボクを愛してくれる人がたくさんいて
こんなボクはその人たちを心から愛している。
本当にそのことが嬉しい。
愛おしくてたまらない恋人もいる。
ボクは
素直に生きていくだけだ。
美しく
生きる。
答えは常にボクの中のonoreが教えてくれるのだから
しっかりと耳を傾けていたい。
理解するのではなく
悟る。
悟とは
心という吾が
口にする言葉を
聴くことだ。
その聴覚の活動は
武者震いであり
呼吸であり
口づけであり
抱きしめることだ。
今日
シーシャ屋にいった。
産まれ落ちて初めてシーシャを吸った。
ハチミツ味のシンプルな甘さだった。
一緒に大好きなチャイを飲んだ。
二時間ちょっと過ごして、シーシャ屋を後にした。
狭い店内から出て
まだ細い路地にボクはいたけれど
踏みしめたコンクリートのタイルと空の間でボクは
今日ひとつのことを悟った。
ボクの一番好きな飲み物は、この星を旅し続けてボクという島に立ち寄っていく
清らかな【水】で
甘くてちょっと洒落たシーシャより、何より
ボクの体に流れ込み、一番の喜びをもたらすのは
この星を抱きしめ続ける【空気】だ。
そして
ちょっと贅沢を言わせてもらえば
今
ボクは
その水と空気という至高の贅沢を
大好きな花子ちゃんと寄り添って味わいたい。
今日はいい日だ。
なんとも
普通な
素晴らしく美しい時が流れてる。
アニッチャー
ボクの美しい言葉と美しい想いが
みんなへと運ばれていく。
自分が今日ここに並べた言葉たちや
その子たちが奏でる調べが伝える想いを
【美しい】と形容することに何のためらいもない。
ありがとう。
今晩は
栄の街中で
ジャンベでも叩いてくるかな。
きっといい調べになる。
それでは
ミョウガ×オクラ×ヤマトイモ×トマトの
冷製パスタを作るとしよう。
上機嫌に
鼻歌でも歌いながら。
peace
今日もあなたが世界を美しく彩りますように
寒くなってきたから
みんな風邪には気をつけて
ちょっと余裕をもって家に帰って
浴槽で温まって眠るといいね
ボクは今晩はそうするつもり
ウロタン・ケウトゴ
by eckkr
| 2011-11-27 18:01
| ひとりごと